八重桜

大正12年3月には、‘知足院奈良八重桜‘として、国の天然記念物に指定され、
昭和43年には、奈良県の県花に選ばれています。

蕾の頃は、濃い紅色をしていますが、花が開くと白に近い淡い紅色になり、 散り際に花びらがまた紅色を深めます。

八重桜と言っても、豪華な牡丹桜ではなく、若は葉とともに蕾が枝につき葉陰からのぞくように小ぶり(直径2.5〜3cm)の 花が咲きます。よく見ないと八重とは気づかないとても可憐な花です。開花時期はふつうの八重桜よりも更に遅く、桜の一番最後に咲きます。

一条天皇の時、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮・彰子が、興福寺の境内に植わっていた八重桜の噂を聞き、宮中の庭へ植え替え様として、使いをやり荷車で運び出そうとしたら興福寺の僧が追って来て

「命にかけてもその桜、京へは渡せぬ」と云ったので、彰子も断念し、それから毎年花の頃に「花の守り」を遣わし、今でも伊賀上野には「花垣の庄」と呼ばれる花守の子孫がいて、「奈良の八重桜」を霊木として守っておられます。

一条天皇の時、奈良の八重桜の一枝が宮中に献上され、その年の花の受取役、伊勢大輔(いせのたいふ)が、その花を見て詠んだのが「詞花集」から「小倉百人一首」第61番に載せられたかの有名な次の歌で、

 いにしえの 奈良の都の八重桜 けふここのへに 匂ひぬるかな

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